

studio: kobayashi studio
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まるで結晶のような輝きと透明感。これは千葉県九十九里にある菅原工芸硝子で廃棄となったガラス屑だ。先日工房を見学させていただいた際にお話を伺い、何か活用できる方法があればと購入させていただいた。産廃品として埋め立ててしまうには、あまりに美しすぎる外見をしている。工房では日々、廃棄物を減らすための様々な努力をされているそうだが、それでもこうしたガラス屑は排出されてしまうという。「自然の素材とエネルギーを使って物を作らせてもらっているからこそ、自然のためにできることを少しでもやりたい」と語る社長の言葉に感動した。私たちも自然の素材を使って仕事をしているという立場は同じだ。単なる美しさだけでなく、環境のためにも、この廃ガラスを建築に活用していく方法を模索していきたい。


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夕方、団地の敷地を歩いていて、ふと「境界」について考えてみた。世の中には、いろんな境界がある。物理的な境界もあれば、心の中にある境界もある。人にとって、いちばん身近な境界は「皮膚」なのかもしれない。皮膚があるおかげで、私たちは自分と他人を分けて感じられるのだと思う。たとえば団地の敷地に置かれた自転車や、垣根越しに見える隣の家のベランダ。あれも、小さな境界線なのだろう。子どもの頃、隣の庭に転がったボールを拾いに、垣根を越えてしまったことがある。今思えば、あれは境界を踏み越えてしまった感覚だったのかもしれない私たちは、普段は気づかないうちに、いろんな境界を行き来しながら暮らしている。もちろん、境界を作らないことで生まれる幸せもあると分かってはいるけれど、それにふと気づいた瞬間、なんだかはっとさせられる。


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Project: 明日の郊外団地
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とあるガラスメーカーさんの工場を見学する機会があった。ガラスは溶かして再利用できるため、捨てるものはないと思いきや、 綺麗に分別できなかったり、再利用すると色が混ざってしまうために再利用できないものも、どうしてもあるのだという。これはそのガラ置き場の写真なのだが、 色とりどりのガラスの破片と、役目を終えたガラスを溶かするつぼの破片などが混ざり合い、ゴミ置き場と思えない美しさをみた。ガラスは動かない液体と言うが、 砂を溶かしドロドロのガラスにするにはかなりのエネルギーを要する。そして溶けたガラスに熟練の職人さんが息を吹き込み形になる。破片とはいえこれらも、その熱量(カロリー)のかたまりなので、美しいのかもしれない。廃棄ではない輝ける使い道を見つけ出したい。


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小湊鐡道上総牛久駅前で開業準備中のこども食堂の計画が進んでいる。この前の打ち合わせでは、外部に取り付ける袖看板のサイズを検討するため、原寸大のモックアップを作成してお施主さんと共に確認を行った。実際に実物のサイズ感を現地で見てみると、CGのイメージパースでは想像できない気づきがあり、お施主さんとの確認のツールとしてもとても有効であると再認識する。なにより白くて丸っこいシェイプがおにぎりみたいで可愛い。この場所は牛久商店街から一本入った寂れた裏通りに面しているが、こうした袖看板が通りにぽこぽこと突き出ている風景も悪くない。そんな商店街の未来を妄想した一日だった。


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Project: つりはいらないよ食堂
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kurosawa kawara-tenでは廃材や端材、余剰材など、建築の物質循環からもれた素材たちを活用したマテリアル開発を行う。この写真は牛久のこども食堂PJで採用を検討している、シラカシの突板合板とガラスくずを骨材としたホワイトモルタルのテラゾーとよばれる人造石のスタディの組み合わせ。市原で支障木として伐採されたシラカシの木と、ガラス製品の製造の過程で出るガラスくず。それぞれを建築のマテリアルとして再度見い出し、組み合わせることで、得も言われぬ存在感を獲得している。そこにはアップサイクルやSDGsといった耳障りの良い流行り言葉では説明しきれない、普遍的な力強さがあると考えている。我々はこうしたマテリアルが持つ強度を“materialness”と呼んでいる。


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Project: つりはいらないよ食堂
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ガラスへの穴あけ加工に挑戦している。ガラスは金属や木材と違い、少しでも無理な力がかかるとひびが入る。ドリルを押す強さ、水による冷却、刃を当てる角度など、気を使うポイントが多い。
現在の課題は、ガラスの接着面にわずかでも隙間が生じると、そこから削り粉を含んだ水が入り込んでしまうこと。合わせガラスの品質に直結する問題だけに、解決していかなければならないと思っている。しかしそこさえ上手くいけばとても綺麗な穴があく。これはスタディで作ったガラスのユニットだが、穴あけができるようになったことでプロダクトのアイデアも浮かんできた。ガラスの用途がまた少し広がった気がして、次に作るものへの期待が膨らんでいる。


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埼玉に住む友人のDIYを手伝った帰り、氷川神社の参道にある休憩スペース「ゆうすいテラス」に立ち寄った。以前から気になっていた建築だ。もちろん、空間の雰囲気や構成も魅力的なのだけれど、近年は、どうしても「納まり」ばかり見てしまう。例えばこのトイレの明かり取りの窓は、既製品のサッシではなく、現場で、ガラスと「押縁」というガラス押さえを組み合わせて窓を作っている。その押縁材にはスチールのL字のアングルが使われていて、さらにガラス裏のスペーサーを木にすることで、外から見た時に木の印象が崩れないよう工夫されていた。ガラスも上下2辺のみで支持され、縦方向に余計な部材が入らない。一見するとただの窓なのだけれど、その裏には細かな配慮が積み重なっている。この写真一枚でも、学ぶことが本当に多い。


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先日視察で訪れた植物園で、小さな陶器の鉢に植えられた山野草を見つけた。花自体は庭先にも咲いていそうな身近なものだが、苔とともに小さな鉢に収まっていると、まるで野山の風景の一角を切り取ったようで、なんとも愛らしい。恥ずかしながらこれまで「山野草」というジャンルを知らず、飾る花といえば、花屋に並ぶ華やかな切り花のイメージしかなかった。けれど、素朴で親しみのある佇まいがとても自分の好みに合って、即決でお迎えしてしまった。春になり庭や道端でよく見かけるようにもなった小さな野花たち。それらを家の中で楽しめることが嬉しい発見だった。


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雨の日のkenzoの散歩。草についた雫をビシャビシャと浴びながらはしゃいでいて、その様子がなんとも可愛い。濡れることを避けるどころか、楽しんでいるようにも見える。そういえば、うちの息子も、雨の日は傘がさせるから好きらしい。家を出る時に「今日は雨?」と少し嬉しそうに聞いてくる。雨はなんとなく憂鬱に感じてしまうけれど、それは自分の受け取り方ひとつなのかもしれない。もう少し心を広くひらいて、楽しむ気持ちを持たなければ、そんなことを思わせてくれる雨の日だった。


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透明性というのは本当に奥が深い。コーリン・ロウの提唱する「実」と「虚」の透明性における、「実」はガラスなどの素材による光や視線の透過性のことを指していて比較的わかりやすいが、「虚」の透明性は実際には壁があっても、複数の空間の広がりが同時に存在しているように「知覚」される状態のことをいう。この説明だけでは何のことかさっぱりわからないが、つまりは視覚的な透明性ではない、空間構成やレイヤーによって生み出される透明性のことだ。私は現在ガラスの柱をスタディしながら、主要構造部ではない、化粧としてのガラス層の意味をずっと考えている。言語による社会的意味性や芸術的視点は建築を設計する上でとても重要なことである。自分の設計の癖として、手を動かす前に言語化することが多かったのだが、このガラス積層による化粧柱はひたすらスタディして、言語よりも先に美しいものができたと思えた。できたものに対する後発的な言語化は、未熟な私には大きな試練である。


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