2014. 8. 4 金谷レポート
先日ひょんなことから金谷という場所を視察することがあったので、
そのレポートです。
金谷とは
金谷と聞いて南関東の人、それに30歳前後の人なら聞いたことがある地名だと思います。
千葉県富津市金谷、
場所はこの辺です。
東京湾横断道路のアクアラインができる前は、
千葉県と神奈川県を直接結ぶ東京湾フェリーの港として親しまれ、
房総半島への輸送や観光には欠かせない場所でした。
また、古くは鋸山から採掘される房州石の町でもあり、
鋸山を金谷から見れば、まさに鋸の刃のように切り立った岩肌があらわになっています。
しかし、現在は石切も終わり、木更津と川崎をアクアラインが結び、
また、館山道路が開通したので海沿いを走る国道の交通量も減っています。
産業の変化によって苦境に立たされている典型的な町であり、
未だにインフラや観光資源は持っている個性のある場所でもあります。
その金谷をどうにかしないといけないと、金谷美術館というところを拠点にアートで町おこしをしているというので、
kurosawa kawaratenとして空き屋関連のプロジェクトで何かできないだろうかと話を聞きにいくというのが今回の視察の目的でした。
KANAYA BASE
金谷美術館が中心となって”KANAYA art PROJECT”なるものを行っているとのこと。
その中でも異彩を放っているのがKANAYA BASEです。
大日本精化という会社の持ち物で使われなくなっていた建物を、
シェアアトリエとして運営していて、またその運営者の多くが30代以下の若者たちというものです。
金谷自体はご多分に漏れず少子高齢化が進行していて、
地元の小学校は全校生徒数44人とのこと。
そんな場所に働き盛りかもう少し下の世代がワイワイと手作りで盛り上がっているのです。
残念なことにこの建物が持ち主の会社の意向で使用できなくなるそうで、
来年からは金谷の中で場所を変え、規模を小さくしながらも継続していくそうです。
現在の建物は海岸に沿うように水平が強調され、それぞれの部屋で窓から切り取られた海が絵のように美しい素晴らしいものでした。
金谷の町との親和性や文脈、また建物の建ち方は少し違和感があるのですが、
建物としてはなんで朽ちてしまったのだろうというくらいポテンシャルがありそうでした。
運営者、入居者の別なく若者らしいフラットな雰囲気で、視察中に地元の小学生が遊びに寄っていく風景も見られました。
また、彼らは”しへいどん”というゲストハウスも運営していて、
KANAYA BASEの来客をもてなしているようでした。
当日急遽お邪魔したのですが、
ちょうどお昼時ということもあってすっかり昼ご飯をごちそうになってしまいました。
野菜は農業生産法人 株式会社 耕すの木更津農場でゲストハウスの運営メンバーが働いているからと、
幸運にも美味しい有機野菜をいただきました。
金谷の空き屋
今回、金谷を訪れたきっかけは、KANAYA art PROJECTの関係の方から、
金谷でも空き屋が増えているので、何か空き屋再生のプロジェクトができると思うと言われたことでした。
観光、交通、歴史が混じった小規模な地域で空き屋再生ができるのか、
そんなことを考えながら歩いてみたのですが、
実はKANAYA BASEのメンバーに、元不動産屋さんで工務店経験者がという人がいました。
外から部外者が横やりを入れて良いものか、考えるべき課題かもしれません。
そして、町は以外と死んでいないということもわかりました。
金谷ではJR内房線を挟んで”丘”と”浜”と地域が分かれていますが、
浜の側では観光地として人が減ってしまったために空き店舗が目立ちます、
しかしこれは空き店舗であって人は住んでいることも多いようです。
そして丘はというと、基本的には人が住んでいて、住んでいないところは物置になっています。
しかも、これらの家々は生垣等も手の届く範囲で手入れがされていて、ちゃんと暮らしがありました。
むしろ市街地のあまり外側に意識のない家よりも気持ちがいいくらいでした。
これを再生する必要があるのか。
これも考える必要がありそうです。
今後の展開
上記の2点を踏まえて、金谷を観光地として生きていくのか、それとも暮らす場所としていくのか、
その先を考えて行こうと思います。
そして、外から関わるのか、外であっても内に入るのか、内の人を外に呼ぶのか、そもそも内と外と考えないか。
そんな関わり方も模索して行こうと思います。