KOUGAI DANCHI OF TOMORROW

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郊外戸建団地の現在

郊外戸建団地/外戸建団地での生活/東京圏周辺の状況

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郊外戸建団地の現在

郊外戸建団地/外戸建団地での生活/東京圏周辺の状況

郊外戸建団地

 この増え続ける住宅という状況のきっかけとなったのは戦後復興における住宅政策に他ならない。敗戦国であり空襲によって住む家を失った人々や、家族を失った人々に向けて雨風をしのぐことができ、文化的な最低限の暮らしを送ることができる住宅を供給する必要があった。また、高度経済成長によって労働者が増えて人口の移動が起これば、彼らの暮らしの器を作る必要ができ、さらに、家族の形が変化することで世帯数が増えれば、そのための住宅が必要となった。この労働者のための住宅として集合住宅形式の団地と、戸建住宅形式の団地が作られていく。前者はマンションと名を変えて、後者は分譲住宅として大手ディベロッパーやハウスメーカーのビジネスに吸収されていくことになる。この過程の中で不足している住宅の供給という目的は薄まっていき、建設ビジネスのための商品としての開発や供給に取って代わられ、現在ではディベロッパー、組織設計事務所、ゼネコン、建材メーカー、ハウスメーカー、そして地方の工務店やその下請け職人まで連なる産業を成長または維持させることに完全にシフトしている。そして、この産業がはらむ矛盾が400万戸という数字であり、この産業維持における効率のために切り捨てられている存在として、開発されてから45-30年ほどの郊外戸建団地がある。

 東京やその他地方都市の郊外にあり、工業地域で働く労働者やその周辺産業で働く人々のための住宅地として、または都市部で働く労働者のためのベッドタウンとして開発され、前者は既存の田畑のない丘の斜面などを切り崩して作られるために○○台と呼ばれることの多い200-500戸ほどの住宅地として、後者は○○ニュータウンなどと呼ばれてその大きな開発規模に耐えうる広さのある土地として、既存市街地とは全く関係のない場所をゼロから数万戸規模の新しい街へと作り上げられている。この文章の中でで郊外戸建団地というときには特に前者を指すが、産業の発展や成長のために作られたこの郊外戸建団地が、現在、作られた当初の目的としては寿命を迎えようとしており、それがこの過剰な住宅ストックの一因を作っていると考えられる。そのため、私たち建築に関係する人々や都市計画の権限を持つ人々、またその戸建住宅に住み権利を持っている人々は、この郊外戸建団地の現状を捉え意義や目的を再考する必要に迫られている。

 開発されて40年前後の郊外戸建団地の現状は、その構成要素である戸建住宅と住人の状況が教えてくれている。個別の分譲地の基本的な大きさは50-70坪で一区画が10-20戸ほどでまとまり、その区画によって4-6mの道が縦横に作られている。住宅地は道路よりも20-30cmほど高く作られていて、道路の両脇と住宅地の間には浄化槽から出る生活雑排水用の側溝が作られている。

 この側溝はU字溝とも呼ばれ、いわゆるドブである。雨水のためだけに使われている場合もあり、その場合にはドブという響きよりもとても綺麗な状態なのだが、雑排水を流す場合には団地の集中浄化槽や公営の下水道まで、まさにドブといった汚水が流れてる。団地を開発した当初には汚水を汲取で雑排水をグリーストラップで側溝へ流す方式であった団地も多かった。上水道は公営水道が敷設されていることが多いが、各自治体の中心市街地から少し離れた場所にある団地の場合には未だに井戸を使用しているところもみられる。井戸に関してはそれぞれの住戸ごとに設置する個別のものと、いくつかの区画毎に設置するもの、または団地全体を一箇所で供給するものがある。ガスに関してはLPGであることも多く、その場合にもやはりそれぞれの住戸ごとにボンベを設置する場合と、敷設されたガス管で供給される集中型のものがある。あまり都市部との違いが無いものは電力とインターネット用の光回線で、同じように電柱によって供給されている。このようにインフラに関して各団地で様々だが、都市部に住んでいる人々にはあまり馴染みのない方法で、しかしとても普通のこととして、未だに個別井戸と個別浄化槽に個別ガスボンベという状況のハード的にオフグリッドな住宅も多く残っている。

 外周りに関しては、ほぼ全ての住宅で居間が1階の南側に設けられるために、北側の隣地境界又は道路境界へ配置を寄せて、南側に庭が作られている。敷地の境界線上にコンクリートブロック製の塀が作られることが多く、もともとは1台分の駐車場にフェンスを設置することで門を開けないと敷地内に入れない造りになっていたものが多かった。

 各住宅も団地と同じ年代に建てられているため、築40年前後のものから、30年くらいのものが大半を占め、まれに20-10年くらいのものがみられる。2階建てで延床面積は30-35坪程度であることが多く、間取りは1階にダイニングキッチンと居間、和室とトイレ、洗面脱衣室、風呂場があり、2階に2-3部屋である。40-30年のものに関しては無筋少し良い仕様であれば有筋コンクリートの布基礎で床下に通気をとる。構造は尺間で作られた在来軸組、床は根太の上に直接ベニヤの床材が貼られ、少なくとも1室は和室が用意されている。ベニヤの床材と呼ぶのには理由があり、2018年の現在主流のいわゆるフローリングと呼ばれるベニヤ材だけではなく、細かな突き板が組み合わされて貼り付けられたパーケット風なベニヤや、ベニヤの上に現在使われているビニールシートよりも柄が大きく凹凸も深いシート材などが使われている様々なベニヤを基盤とした床材だからである。基礎にも床下にも断熱材はない。壁は内側が3-5mmの化粧ベニヤのパネル材の大壁と和室の内壁は設備としては、キッチンとダイニングが同じ部屋になっていて、そこにI型のステンレスカウンタートップの独立キャビネットがあり単独のガスコンロを置き、ダブルハンドルの水栓金具が壁についている。

設備としては、キッチンとダイニングが同じ部屋になっていて、そこにI型のステンレスカウンタートップの独立キャビネットがあり単独のガスコンロを置き、ダブルハンドルの水栓金具が壁についている。食洗機はなく換気扇は引きひも式スイッチのプロペラ換気扇をステンレスのフードで囲っている。トイレは水洗式の他に排水の仕組みによっては汚水汲取式用の簡易水洗式のものもあった。トイレにはもともと電源は無く温水洗浄便座などは設置できるようには作られていない。風呂場は、タイルの床と壁に、樹脂または湿式の塗り天井とFRPまたはステンレスの浴槽で巾1820奥行き1365であることが多い。給湯設備は建設当初はバランス釜と瞬間湯沸かし器の組合せであることが多かった。その後ガス給湯器を設置する住宅が多くなり湯船の追い焚ができる場合もある。

 一方住民は20-30代でこれらの住宅を購入または建てて移り住んできた人々で、1-3人の子供がいる核家族であった。この親世代を第一世代だとすると子供達の第二世代は高校卒業と同時に就職か進学で親元を離れることが多く、そのまま結婚をして職場の近くなど実家のある団地以外の場所に新しく家を買うため戻ってくることはほとんどない。これは、団地が創られた当時には活況であった産業が成長期から停滞期に移行してしまったために、職をその他の地域や産業に求めなければいけないという社会的状況がまず第一にあった。また、義務教育終了後に10代で就職していた第一世代とは違い、第二世代は高等教育が当たり前になり、高校はほとんどの子供が卒業し、その後も2年制の専門学校か、もしくはどのような学力でも大学に進学することができるようになってしまったために、親の職業や家業を継ぐということは必ずしも必要ではなくなった。このために団地周辺には望む職種がないので都市部へと出て行くことになる。これと同時に、1980年代のバブル経済の影響で地価が高騰し続け郊外団地にしか家を持てなかった第一世代とは対照的に、バブル崩壊後の地価下落と不況の影響で住宅ローン金利が下がったこと、また多くのマンションが都市部に供給されたことなども相まって、職を求めて都市部へ移った第二世代がそのまま職場へのアクセスの良い場所に定住する。こうして、20代で移り住んだ人々は今40年経って60代になり、子供達は家を出て、団地に住む人々は高齢者夫婦の二人暮らしや配偶者を亡くした一人暮らしが大半を占める現在の状況が出来上がっている。

郊外戸建団地での生活

 郊外戸建団地は現在様々な面で不利な状況であり、難局を迎えている。それは空き家の増加や人口の流出などの諸問題からも明らかなのだが、では、なぜ建設当初には夢のマイホームが集まる希望の土地であったはずの団地が、先行きの見えない厳しい状況に置かれるようになってしまったのだろうか。一つには、この半世紀で日本人の生活や価値観などが大きく変わってしまったことに理由があるように思われる。

 先述した通り、団地の第二世代は高等教育の後で生まれ育った地にはいつかなかった。市内の都市部で一人暮らしをすることもあれば、東京や近郊の大都市へ進学や就職のために出ていった。そして、第二世代が一度都市部に出るということには生活様式に対する影響も大きく、また、住宅への期待値を引き上げてしまうことにもなる。生活様式への影響とすれば、都市部の便利な交通手段や買い物環境に慣れ親しんでしまうことで、相対的に郊外の団地周辺にあるそれらが不便に感じられてしまうことがある。交通手段は都市部に住んでいた場合には電車や地下鉄といった鉄道網が利用でき、多くは5-10分に1本の割合で運行されている。また、鉄道網を補うようにバス網も利用できるため、組み合わせれば自宅まで徒歩で数分のところまでは公共交通機関を利用できる。また、始発や最終便も4時台から日付が変わるまであるため、生活リズムがこれらに制限されるということは、通常一般に生活を送っている限り感じることはない。また、都市部でタクシーは街中の大通りでいつでも拾うことができ、終電後の大きな駅では何台もの車がプールされている。人口密度が高いという都市部の特徴は、タクシーの移動距離も短いということにもつながり、他方、郊外戸建団地では、職場からの帰宅時に終バスを乗り過ごした際等、最寄り駅から自宅までのタクシー運賃は、都市部のそれとは比べ物にならない値段になってしまうことになる。公共交通機関網の充実は公私にわたる社交性にも影響する。自ら車を運転しない場合には出先でアルコールを摂取することができる。これは外出や社交の強い動機になるとともに、飲食店などの充実が保たれ街の表情にも活気が保たれる大きな要因となる。

 郊外戸建団地周辺では、2007、2009年での飲酒運転の罰則強化と並んで取締強化の後から主要幹線道路脇に見られたスナックや居酒屋、小料理屋、カラオケといった店の多くは姿を消し、幹線道路はただの移動手段として通り過ぎる場所になり、このため若者が集まることのできる場所は自宅か中心市街地に限られ、集まったとしても飲酒をする場合には運転ができないために運転代行を頼まざるを得ず、これは外出の帰り道が常にタクシーに、しかも長距離の移動になるということを意味しているために、友人との交際費が大幅に増加することになる。東京都内で地下鉄を使って繁華街まで酒を飲みに出かけたとすれば、500円程度の交通費だが、郊外で自宅から中心市街地までタクシーや運転代行を利用するとしたら5,000円を超えることも珍しくない。現在郊外でアルコールがある集まりを催すとすれば、数人で集まって運転代行やタクシーを使うか、家族に会場まで送り迎えを頼むのが一般的になっている。

 スーパーマーケットやコンビニエンスストアー、または日用品を購入することができる場所までの距離にも大きな差がある。そして、これもまた郊外戸建団地が一歩、もしくはかなり不利に立たされる。都市部であれば、たとえ夜中に冷蔵庫の中身が空だったことに気がついたとしても、歩いて、または自転車で数分のところに24時間営業のコンビニがある。もしくは、残業をして帰ってきて最寄り駅に降り立ったとしても、自宅までの道中に遅くまで営業しているスーパーがある。これが郊外戸建団地であれば例えば、夜8時ごろに晩酌をしながらもう一本ビールを飲みたかったとする。冷蔵庫を開けてみるとさっき飲み終わったものが最後の一本で買いに行かなければいけない。しかし、最寄りのコンビニは車でないと難しくアルコールが入ってしまっているので断念。別の日には、少し残業して最寄駅に夜9時ごろ帰ってきたとする。スーパーは8時までには閉店してしまうため、電車の中できらしていた卵を買って帰って冷凍してある鶏肉で親子丼でも作ろうかと考えていても、残念ながら焼き鳥丼へと変更を余儀なくされる。こうして第二世代は大学での進学や就職によって都市部での生活様式で慣れ親しんだことによって、コンビニや居酒屋などの10代後半から20代に足繁く通う施設に対しても、それまではそういうものだと受け入れていた郊外での生活が不便であると思い込むことになる。実際には就職して家庭を持って子供ができたとすれば、深夜にコンビニへ行く必要も年間に数えるほどしかなく、週末に程度の量をまとめて一度に買えてしまうので、スーパーに行くことも週に1-2回ですむのだが、20代の、人生で一番アクティブな時期を都市部で過ごすことで、その感覚を30代以降の落ち着いた時期にまで持ち越してしまう。これによって郊外の生活が不便だという先入観が出来上がる。これは希望の給与水準にも同じようなことが言えるのかもしれない。都市部のアルバイトの時給は郊外のそれよりも数百円高い。この数百円は1,000円/hに対して850円/hであったりするので、1割以上郊外が低い場合もある。この水準は正社員の給与に関してもその傾向があるため、大学の4年生であまり熱心に授業を取らないような学生が、ほとんどフリーターのように都市部でアルバイトしてしまうと、正社員になった時に学生時代より稼げないという状態が起こったりする。地元に帰って就職しようと思うと、現在の住環境よりも不便になる上に、給料も学生時代よりももらえないのであれば、わざわざ郊外に帰る動機を削いだとしてもおかしくはない。

 こういった外部環境だけでなく、住まいそのものの環境としても、都市を体験してしまうことで大きな影響がある。例えば、郊外戸建団地の築30-40年になる木造家屋から、都市部の比較的築年数の新しいアパートまたはRC造、S造のマンションへ移り住むことで、温熱環境、音響環境、設備環境などが格段に高い状況、また賃貸住宅であれば入居時に壁紙やフローリングなど部屋を丸ごと奇麗にして引き渡される体験をしてしまう。そのため、久しぶりに帰省した実家は物にあふれ薄汚れていて、なおかつ帰省は盆暮れで暑さ寒さが厳しい時期のためその環境の厳しさに改めて驚くことになる。冷房をかけていてもじんわりと汗をかき、2階等は日中過ごせる室温ではない。夏場は特に虫も多く、外に出ればすぐに蚊に刺され、電灯の周りには必ず蜘蛛の巣が張る。ゴキブリも数回見かけるかもしれない。蛙やヤモリ、時には蛇まで庭で見かけることになるだろう。冬は暖房をつけていても窓際ではひんやりとしていて、石油ストーブを使っていれば結露がひどい。石油ストーブは油切れを起こすので数時間置きに入れ直さなければならず、買い置きがなくなればガソリンスタンドまでポリタンクを数個抱えて雨でも雪でも買いにいかなければならない。風呂はタイルばりのためお湯を出すまでは氷のように冷たく、せっかく暖まって出てきたとしても、脱衣所は暖房がないため外気のように寒い。トイレもほぼ外気と同じような室温のために、電気温熱便座でない限りは毎回座るのに勇気がいる。もし夜中にトイレに起きたとすれば、それだけで目が覚めてしまう。また、一人暮らしはプライバシーに対して全く気にしないですむとても快適な環境であることに対して、大人が4-5人集まって100平米そこそこのスペースで数日暮らせば、トイレの取合い、隣の部屋の音は丸聞こえ、食事の時間も起床就寝の時間も自分の自由にはならない。周囲を歩けば近所の知り合いから声をかけられる。こうして、30㎡そこそこで〇〇調の壁紙と汚れがすぐ落ちるツルツルのシート張りベニヤに囲まれた我が家の方が、なんて暮らしやすいのだろうかと確信してしまうのだろう。

 この生活様式と住宅環境の大きな違いが、第二世代を郊外戸建団地から遠ざける一因となり、現在郊外戸建団地は第一世代の高齢化と第二世代が残らないことでの少子化、それに伴い更新されなくなった住宅の老朽化と使われなくなった空家の増加が起こっており、もうすでに団地全体の人口の半数が55歳以上の準限界集落化し、限界集落になり消えていくのをただ待つだけの状況に陥っているところも少なくない。そしてまた、自らの資産価値の著しい低下やインフラの老朽化、さらには同じ世代が流入してきて出来上がっている集落であるが故に、数年後に急激に人口が減ってしまうという事実に全く危機感を抱かずに、静かに殺されようとしていることにすら住人が気がつかないでいる。それが2018年現在の日本における郊外戸建団地の一つの姿である。

東京圏周辺の状況

 我々の事務所がまさに、その郊外戸建団地の中にある。千葉県市原市西国吉には、川崎製鉄(現JFEスチール)の労働者のために造成された川鉄団地と呼ばれる区画と、道を一本隔ててもう少し道路幅が狭く規模が大きな吉野台団地と呼ばれる区画がある。まさに校外戸建て団地の典型的なパターンでどんどん空家が増え、象徴的な出来事として1990年代に近隣の小学校が40人3クラスにまで増えたのをピークに人口が減少し続け、約30年後の2018年ではその小学校は分校化され廃校の話が出ている。

 これは何もこの団地に限ったことではない。千葉県の東京湾に面した市区町村には、多かれ少なかれ分譲され始めてから40年から30年くらいの戸建団地が鉄道や国道の周辺にある、小高い山や丘の斜面を切り崩して造成されている。これらは大概が〇〇台という名前が付き、近隣では一番大きな都市である千葉市のターミナル駅千葉駅に出るまでに、30分から1時間程度の距離にある。この地域は東京まで通勤することのできるちょうど境目にあたる地域で、この辺りから東京の郊外が終わり千葉の郊外へと性質が変わる。東京は世界でも有数の大都市圏を形成しているため、東京の郊外と呼べる範囲内に、人口が100万前後の、ちょっとした国の首都規模の都市が4都市もある。さらにその人口が都市間をつなぐ鉄道沿線に対してスプロールして面的に住宅地を作っているために、現在は特に東京湾沿岸の地域から東京を中心に放射状に伸びる鉄道沿線には都市化された郊外として戸建住宅が広がっている。

千葉県 東京都

 これに対して、横浜市、川崎市、さいたま市、千葉市を中心にした都市圏としても郊外が広がっており、土地にゆとりがあり、人口密度も低く、移動手段は専ら自動車であるいわゆる郊外は、こちらの方が当てはまるだろう。これらの東京に隣接する神奈川、埼玉、茨城、千葉の4県と東京都に対して、衛星写真から形状として判別できる一団の戸建団地を抽出し郊外戸建団地としてプロットした。この際の条件は、1.明らかに人為的に区画が形作られていること、2.ニュータウン規模(1,000戸3,000人と国交相では定義されているが、この調査では10,000戸以上の規模とする)(https://www.mlit.go.jp/totikensangyo/totikensangyo_tk2_000065.html)になっているものは除外する、3.住所や呼び名に〇〇台や〇〇が丘といった特徴があること、この3つを設定した。

 東京都は武蔵野線の内側くらいまでは一続きの都市的郊外として建物が連なっているためまとめて除外した。中央線や西武線など東京の西部は平野を中心に広がっているため、斜面を切り取るタイプの作られ方よりは、集合住宅タイプの団地の周りに作られる戸建団地が多く、また、埼玉と神奈川の県境に河川に沿う様に田畑を転用して造成されたであろう地域に作られている戸建団地が多くある。

神奈川県

 神奈川県は東急線、小田急線沿線に斜面を覆い尽くすように戸建団地が形成されているが、多くが集まりすぎてほぼニュータウンといった状態になっている。戸建団地として区画がはっきりとわかり、面的に多少なりとも切れているものは三浦半島や東海道線沿線の駅から少し離れた場所に作られている。

埼玉県

 埼玉県は東京23区と鉄道で繋がり近接している地域は、平野である特性上そのまま面として一続きの状態になっている。田畑を転用して造成された団地が多いためか、形状が直線的で、田んぼのあぜ道がそのまま道路に置き換わったような状態になっている。

茨城県

茨城県は水戸市でも30万弱の人口しかいないため、そのほかの県とは状況が少し違っている。利根川を挟んだ千葉と埼玉の人口集中エリアのように東京に対する郊外としてのつくば地域と、工業団地としての日立地域などに山の斜面や盆地を埋めるように戸建団地が数は少ないが作られている。

 千葉県は東京に隣接するエリアから面的に戸建団地が広がっている。さらに、京葉工業地域に沿う様に臨海部から少し入った地域にまで点在する。千葉は東京に接しているが、神奈川などと比べると人口が少なく、地理的にも山がほとんどないために、斜面や河川などの自然だけではなく、田畑や駅など人口的に作られた条件をきっかけに小規模な開発が多発しているため、郊外戸建団地として我々が想定するようなまとまりが多く見られる。

 郊外戸建団地として想定したのはまさに我々の事務所のある吉野台団地を基準に考えている。東京23区山手線から放射状にJRと私鉄が神奈川埼玉千葉茨城の各県に伸び、その沿線にはびっしりと切れ目なく建物が連続している。この建物群の多くは木造の戸建て住宅なのだが、建ち方は郊外なのだがハワードの田園都市のそれとは全く違い、まるでシャーレの中で細菌のコロニー同士が増殖しながらやがて大きな一塊りになったような状況で輪郭もおよそ描くことが難しい。このインフラや物流に紐づくようにつくられている住宅群は、人の流れや物の流れがまた人と物を呼び、常に需要を作り続けている。特に海産物や農作物など、自然条件をもとにした物流や商流によって作られている地域であれば、これはその自然条件が大きく変化しない限り、また、人の食生活や自然に対する根源的な欲求がなくならない限りは細々とでも続いていくだろう。しかし、郊外戸建団地としてある一つの輪郭を持った一団の土地、団地というのはそもそも同じ内容の建物が集まったその集合体を呼ぶはずなので、として開発されたものは、特に東京湾近郊であればその工場群とだけ結びついた需要のため、工場の経営方針や景気、産業構造の変化によって工場が廃れる、または人を何らかの理由で必要としなくなれば、必然的にその団地も必要とされなくなり廃れていくようにできている。また、この郊外戸建団地は行政の都市計画における方針にも大きく左右される存在でもある。コンパクトシティやニューアーバニズムのような都市計画の潮流を変える動きが出てきたことによって、また、集合住宅の建設コストや建設技術の発展によって、より行政の運営上またはディベロッパーの経営上有利だと思われる方法が開発されれば、この都市開発の一形態である郊外戸建団地は廃れていくことになる。その当時としては最良の方針だったはずの郊外開発だったのだろうが、あくまで現代日本を作り上げていく中での試行錯誤の一形態であったと認めてしまって、空家や空地、限界集落化する郊外戸建団地の現状に向き合う必要があるのではないだろうか。この文章は郊外戸建団地の現状をこのように捉えた上で考察している。

02

1hの壁

家を決めるための条件/郊外戸建団地と1hの壁/各都市と1hの壁