KOUGAI DANCHI OF TOMORROW

04

Kogaidanchi of Tomorrow

明日の郊外団地/若者とクリエイティブな人達/個性と多様性

04

Kogaidanchi of Tomorrow

明日の郊外団地/若者とクリエイティブな人達/個性と多様性

明日の郊外団地

 郊外戸建団地もしくは郊外というものに、もう未来はないのだろうか。100年や200年先の遠い未来の話ではなく、少なくとも今後10年程度の近い未来の話を、ここで少しだけできればと思う。そしてまず前置きさせてもらえれば、kurosawa kawara-tenはそんなに人類の生活や生涯がすぐに変わってしまうとは考えていない。AppleがiPhoneを発売してから人々の生活はあらゆる場面で劇的に変化したように思えるが、朝起きて寝ることや家族や恋人との時間を過ごすこと、美味しいものを食べることや毎日の仕事の量など、結局のところ必要なことや根底にある価値観などは変わっていない。コミュニケーションの速度や言語のハードル、迷わずにたどり着くことのできる地図などによって生産性や間違いが減ったことくらいだろう。もしかするとカプセルの中でコントロールされた睡眠をとって、ICチップが埋め込まれた身体一つで出歩き、サプリメントタブレットだけで栄養を補給するような世界が既定路線だったとしても、だとすれば尚のこと自然豊かな環境で古くからの人間らしい暮らしを送ることはとても贅沢なこととして残り続けるのではないだろうか。

 郊外戸建団地が住宅の団地から次の姿に変わる一つのケーススタディとして、まず手始めに自らの所属する吉野台団地を変えてみようと考えている。空き家は増え続けており、空き地もたくさんあるため変えるべき空間は十分にある。そして、我々は建築設計事務所と工務店、宅地建物取引事務所なのだが、特に建築設計事務所と工務店は多くの空間を必要とする。そこで、この使われなくなった土地や建物を、kurosawa kawara-tenという事務所の諸室として作り変えていこうと考えている。現在は自然豊かで広々とした郊外の中で、5坪ちょっとの空間に事務机、本棚、模型、サンプル、資料、打合せ机、コーヒーメーカー、冷蔵庫、そしてプリンター複合機が埋め尽くしている。スタッフ同士のすれ違うのも大変で、これ以上の増員や拡張はできそうもない。もし空家一軒を本棚だけで使えたらどうだろう。二世帯が暮らすには狭いかもしれないが、30坪の広さの図書スペースは小さな設計事務所の蔵書だけであれば十分に大容量だろう。一部屋は建築関係の分厚い本群、一部屋は雑誌、一部屋はアート、科学、歴史、文学などの建築以外の分野。それでもまだ数部屋残っている。もし一軒を模型室として使えたら、3Dプリンターやレーザーカッターも置けるし、今後はもっと大きな敷地模型やモックアップも積極的に作っていける。模型を作る作業台も今はせいぜいダイニングテーブル程度のものだが、もっと大きくて余裕のある台も置いておけるだろう。スプレーノリやスプレー塗装をするためのスプレーブースも常設でおいておける。スペースがあるのだから、たくさん出る材料の端材も捨てずにストックしておくことができる。もし一軒を木工室にできたら、木材の製材から家具作りができるようになる。そのための材料はもう一軒を倉庫にしてストックしておくことができる。山から切り出してきた生木を乾燥させて建材として使用するための実験や、各プロジェクトでデザインした家具の販売をすることもできる。もし一軒をレクチャールームにできたら、もっと設計にワークショップを取り入れて、施主や地域住民との双方向的な設計もやり易くなるだろう。ワークショップだけでなく、事務所内のスタッフの勉強会や関係者を集めての報告会や発表会をすることもできる。一軒は遠方からくる客人の滞在できるゲストルームとして使えれば、海外からのゲストも招くことができる。団地に住んでいる人たちにも使ってもらえば、親戚や友達が来た時に泊まっていってもらうこともできるようになる。郊外戸建団地は確かに、工業という産業を支えるための住宅団地としての寿命を終えようとしてるのだろう。しかしそれは、長い歴史の一ページを閉じようとしているだけだとは考えられないだろうか。その建物群を残さなければいけない必然性はないかもしれない、それは同時に変化せず代謝もせずに消えていく必然性が確かめられたわけでもないだろう。少なくとも、偶然そこに変化を起こすことのできる建築家という職能が存在したというのは明日の郊外団地の姿を作り出す理由にならないだろうか。

若者とクリエイティブな人達

 例えば、kurosawa kawara-tenの事務所機能でアップデートされた団地は、現代建築に共感するデザイナーや芸術家などにとって魅力的な場所になるのではないかとも想像できる。建築設計事務所の諸室が点在し、その若いスタッフ達の活気に満ち、そして彼らが必要とするようなカフェや雑貨店などがあるとしたら、デザイナーや芸術家なども吉野台団地に移り住んで来たいという人が自然と出てくるだろう。千葉は成田空港のおかげで海外へ出るのに不便はないし、そもそも家賃の問題がなければ制作に集中することができる。家賃というのは実のところ若者、クリエイティブ層、そして新しいことを始める人たちにとって大きなストレスや見えない足かせになっているが、現在の価格で団地の戸建を購入できるのであれば、大学生から庭付き一戸建てを所有することも簡単なことだし、個人事業主だからといって賃貸の審査で引っかかるようなこともない。なによりも、どんなことが起こって収入が途絶えたとしても、家賃によって住む場所を追われるような脅威には晒されることがないという根源的な安心感の中で活動できる。

 現在郊外戸建団地が必要としているのは変化であり代謝だろう。そして、それを起こすことが自然とできるのは若者とクリエイティブな人達だけだろう。それは挑戦の連続であり不確定なものに対して時間と労力を使っていかなければ実現しない。売れるか売れないかわからない作品を、自分の感覚だけを信じて制作し続けたり、誰に保証してもらったわけでもないのにデザイナーとして独立したり、一見すると生産性や合理性とは相いれないことに、住む場所を失うことなく挑戦することができる環境を、空家だらけの団地であれば作ることができるのではないだろうか。もし彼らが移り住んでくれば、すぐに空家を改築し始めるだろう。制作のための空間を整えるだろう。自らの美意識や快適な生活のためにインテリアだけでなく家をいじりはじめるだろう。その時点ですでに物理的な代謝は自然と起こり始め、そして、そこには我々のような建築設計の挑戦する可能性も作られるだろう。魅力的に設計されたギャラリーやカフェができればそれだけで人が集まってくる。住む場所さえ脅かされることがないのであれば、失敗を恐れずに売り上げを気にせずに、細々とでも自らの信じたことを貫くことができる。その中から世界的に評価される才能が出てくるかもしれない。そうなったらもうこの代謝は一つの団地の枠を超えて周辺の地域にまで拡大されていく可能性すらある。情報も物も住居も、そして可能性すら揃っているのなら、今までのように都市部が無理だから郊外という消極的な理由ではなく、積極的に郊外を選ぶということもできるようになるのではないだろうか。その昔ロンドンの人々が田園都市を目指したように。

個性と多様性

 kurosawa kawara-tenの目指す明日の郊外団地がもしうまく機能するとしたら、その鍵は個性を尊重する多様性が許容された場所になれるかどうかにかかっているかもしれない。これは現在の郊外戸建団地の反省からまずは考えられる。同じ時期に同じような年齢や家族構成の同じような所得層の同じような職種の人達を引き寄せてしまったのだが、これはそのまま、同じ時期に高齢化し、同じ時期に子供達が巣立ち、同じ産業は同じ時期に好不況の煽りを受ける。結局同じような家は同じように古びていき、同じように誰からも見向きもされなくなる。生態系や文明などが持続していくためには、その内外での構成要素が循環や供給によって代謝され続けなければならない。代謝を促し、また大きな変化に強い集団になるためには構成要素が多様であることが必要で、これは人が生物として存在する限りとても重要な戦略の一つであることは間違いないだろう。

 もし団地に家を買った年齢層がバラバラだったなら、この急速に進む少子高齢化は免れたかもしれない。先に不要になった家が空き始めることで、まだ若い世代が団地に残る余地となり得たかもしれない。常に新しい家やリノベーションが起こっていれば、団地の雰囲気は常に新鮮で外から新しい住民を引き寄せたかもしれない。そして、個性が尊重されて理解されるような開かれた人間関係であれば、そもそも第二世代の子供達もこんなに、ほとんど全員が出ていくことはなかったかもしれない。

 しかし、よく考えてみると今の日本でそんな状況を作り出せている場所はあまりないのではないかとも思える。現在販売されている新築のタワーマンションも、懲りずに作り続けられている真新しい分譲地も、同じような年齢の同じような状況の人達にマーケティングと称して売れやすさを追求した結果、きっと数十年後には現在の郊外団地と同じような状況が待っているだろう。そうだとしたら、現在潰れかけている郊外戸建団地は、その信じられないようなコストパフォーマンスのために色々な実験ができる下地が整っている状況なのかもしれない。建築家、デザイナー、芸術家、起業家、外国人、農家、こんな人達が思い思いに団地を作り変えていくことで、新しい価値を持った生活圏すら作り出すことができるかもしれないと期待している。幸いにも郊外戸建団地はすでにインフラも整っていて市街地へもほど近く、主要なターミナル駅や空港までも毎日でなければアクセスは良い。しかも見捨てられて廃れた観光地なども同じような距離にあり、再生のポテンシャルは無限に、しかも手付かずに残されている。

05

kurosawa kawara-ten danchi

家をもらう、皆で使う/Macbookとcoffee/privateとbusiness