kurosawa kawara-ten

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House for S

地方都市の住宅地にあるべき住宅とはどんなものだろうか。
東京のコピーのような地方都市は住宅地もコピーアンドペーストされた自称注文住宅であふれている。
注文された住宅なので嘘ではないが、その注文は決められた枠組みの中から選んでいるにすぎない。

そんな建売と自称注文住宅にあふれた街とは、用意された選択肢を選ぶことを個性や自立だと思い込まされた、虚栄心と同調圧力のひしめく息苦しい世界のような気がしてならない。
フローリングが汚れにくいだとか、壁紙が空気をきれいにするだとか、風呂の壁のグレードが高いとか、石目調、木目調、レンガ調、何かに似せた模様をまとった樹脂のどっちがすごいだの高いだのとやっているのだ。

地方都市はそろそろそんなコピーの連鎖から抜け出さないと、もうこの先はないのではないだろうか。
東京のコピーであれば東京の人たちは移ってこないし、決してオリジナルは超えられない。
参考にするのは結構だが、その土地の特性も文脈も条件にもよらない表面だけを模倣するのはもうやめた方が良いだろう。

千葉市の中心部にほど近い住宅街に計画された若い家族のための戸建住宅である。
マンションに住んでいたが、子供が大きくなってきたため庭のある家を求めていた。
そのため庭が広く確保できることが第一に必要とされた。
夏場も極力エアコンを使わないで窓を開けて過ごすという一家のために、二階にも外と一体になるような大きなバルコニーをもうけ、また、屋上も作ることにした。

1階の各部屋は全て同じ庭に向かいドアが開いていて、風呂からも庭に出られるようになっているため、夏場に庭で遊んだ子供達がシャワーを浴びたり、網戸にして露天風呂のように楽しむことができる。
2階のバルコニーはLDKと完全に一体化することができる。1間ぶん張り出したベランダにも続いていて、そこからはキッチンにいる家族とコミュニケーションがとれる。
そして屋上に上ると隣家の屋根の上から周囲を一望することができる。それぞれの階層には外部を楽しむ空間が用意されている。

外部とつながることを意識した家ではあるが、どこが外でどこが内か、またはどこからがプライベートでどこからがパブリックかが溶けているような空間が求められているのではない。
そこで道路に面した側には開口部をもうけずに、ほとんど全ての開口部はプライベートの庭側を向いている。このことによって家族は十分にプライベートを充実させ確保することで外の世界ともつながることができるのではないだろうか。

また、通常の戸建住宅では無駄だと目されている廊下をできるかぎり長く充実させている。
廊下は家族のつながりを生む共有スペースであるとともに、空間を体験するためには欠かすことのできない要素である。
さらに廊下は家族同士の距離感を調整する装置でもあり、また食べる寝るといった目的だけでできた空間から、使用する目的以外の空間のもつ冗長性が空間を豊かにするはずである。

こうして、効率や的のはずれた個人主義のために捨てられてきた多様性を取り戻すことは、地方都市の住宅街を唯一無二にして新しい文化や魅力を生み出していくのではないだろうか。

掲載:
mocoloco submissions, architecturephoto


Photo : Sayaka Mochizuki