kurosawa kawara-ten

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2018.04.19いすみがく

kurosawa kawara-tenでは2017年の初めから、千葉大学のCOC+の中で”いすみがく”というプロジェクトを加藤美栄と共同で進めています。

”いすみがく”は千葉大学が千葉県いすみ市に就職する学生を作り出すことを最終目的としているプロジェクトです。
文部科学省の地(知)の拠点大学による地方創生推進事業(COC+)というのが大元で、
その千葉大学版の中のいすみ市でのプロジェクトということになります。

千葉県いすみ市は人口が4万人を切り、55才以上人口が半数を超える自治体としても準限界自治体である状況で、移住促進や観光化などに力を入れて事態の打開を図っているところです。
特産物としては、
日本有数の漁獲高を誇る伊勢海老や、
有機栽培に積極的に取り組んでいるいすみ米などがあり、
舟形の神輿を担いで海に入っていく勇壮な裸祭りでも有名です。

一年目だった昨年度はかなり試行錯誤をしながらプロジェクトの形を整えることがやっとでした。

kurosawa kawara-tenは衰退している千葉県市原市の郊外戸建団地の次の姿を考え続けているのですが、
このプロジェクトに関わることによって、
観光資源や一次産業資源のある地方でも、
本当に弱ってきているということを肌で感じることができています。

建築のプロジェクトとしては、
大原商店街という漁港の町の商店街の一角にある古い卸酒屋の蔵を、
学生達がプロジェクトを進めていくためのオフィスへとコンバージョンしています。

”弱っている地域がある” ー> ”学生が活性化の試みをする” ー> ”ありがたいと地元も全面協力する”

初めはこんな感じでうまく進むのではないかという漠然とした期待感があったのですが、
実際のところは全く違っていました。

そもそも、

・地元の人たちは心底助けを求めていない

・学生の地域活性と言っただけでは何をしようとしているのかはすぐには伝わらない

・古い建物を残すということがあまり普遍的な価値として認識されていない

こんな状況だったのです。

・地元の人たちは心底助けを求めていない

データなどだけを見ればこの地域が以前よりも弱ってきていて、
さらに高齢化などで深刻な問題を抱えていることは明らかです。
特にあと5年も経てば全人口の半数以上が65歳という限界集落になるのは明らかで、
漁師さんも農家さんも高齢者ばかりです。

しかし、
この高齢者の方達が現在体を動かせていて、
仕事もできているため、
5年経って65歳になったからといって何が変わるんだという感覚なんだと思います。
むしろ、
あと5年経ったら自分が高齢者としてどんどん弱ってくる入り口に立つと意識している人がいないのだと思います。
実際自分自身が普段生活していたとして、
運動不足だと5年後に体が思うように動かなくなると言われてもいまいちピンとこないのと同じなのでしょう。
でも、
確実に関節の可動域は狭まっていますし、
少し動くとすぐにどこかに不具合が出るようにこの5年でなっています。

つまり、
日々のこと、
日々の生活は変わらずに続いていくだろうという心の慣性が強く働いているため、
大きな怪我や病気といったわかりやすく弱らない限りは対策をしなければいけないという意識は持てないのでしょう。

・学生の地域活性と言っただけでは何をしようとしているのかはすぐには伝わらない

新聞やテレビでも地域活性化という話題は常に上がっていますし、
大学生が地域活性化と言えばすぐに何をしようとしているのかが伝わるだろうと思っていました。
何も言わなくてもポジティブなものだと受け取ってもらえて、
応援をしてもらえるのではないかと考えていました。

しかし、
国立千葉大学の学生といえども他人は他人なので、
よくわからない学生が何かよくわからないことを始めたとしか思われないようです。
もしくは、
よくわからないので特に関心を持ってもらえずに、
積極的には働きかけてもらえないということもわかりました。

蔵の改修工事をみんなでやっていたのですが、
聞きつけた地元の方達がワイワイとやってくるというイメージとは程遠く、
関係者以外の働きかけはほとんどなかったように思います。

また、
高齢者の方々中心のエリアだとFacebookや電子的な広報があまり有効ではないため、
足で稼ぐしかなくなります。
そのために、
回覧板やら掲示板を使うとしてもかなり効率が悪く、
相当事前に準備をして周知をしないといけないということもわかりました。
つまり、
東京や都市部のように、
思い立ったので来週イベントを打ちますというスピード感では物事が進んでいかないというギャップが見えてきました。

・古い建物を残すということがあまり普遍的な価値として認識されていない

明治44年(1911年)築の太平洋戦争と三度の大きな地震を経験して残っている古い蔵なので、
さぞ地元の人にも大切に思われていてアイデンティティの一つなのではないかと思っていたのですが、
改修工事をしている間中に通りすがりの地元の人達は、
”大学がもっとお金出して綺麗な建物建ててもらえばいいのに”とか、
”こんなボロいの壊して建てた方が安くつくでしょ”とか、
そんな言葉だけを真剣な目で言っていました。

古いもの = 時間というお金や技術ではどうすることもできない価値のあるもの

という価値が普遍的なものとして共有されておらず、
どちらかというと、

古いもの = 汚くて使いづらくて昨日も劣る残す必要のないもの(ゴミのようなもの)

という感覚が共有されているようでした。

一年経ってようやく蔵の改修工事もそろそろ終わるので、
わかってきた現状を踏まえてどのように地域に入っていくことができるのか、
何かを変えることができるのだろうかと真剣に考えてみたいと思います。