サイズも、色形もだいたい同じ家が立ち並ぶ1980年前後にできた郊外団地、違いは塗り直した外壁のおかしな色くらい。3LDKに4人家族というのが、典型的な、想定される家族の形で、車は1台。その後10年経つと車は2台必要で駐車場が広くなり庭が狭くなる。さらに10年後にはプライベートが確保できないのか6畳間の増築が必要になる。そうこうしているうちに新しく周辺に立つ家は車3台分の駐車場に4LDKに書斎や納戸付きが標準になる。それでも、分譲される土地の大きさは変わらない。
この郊外の家と都心のマンションとは、階段以外何が違うのだろうか。自然豊かな環境と広くゆとりがある土地の上に建つ家なのに、都心の鉛筆住宅と比べて間口以外に何が違うのだろうか。土地の値が都心の10分の1なら、家に多くの予算がさけ、もっと大きく土地を使うことができる。ならば都心のそれよりも仕様も良く構造や構成も思い切った家がたくさんでき、広い庭とのつながる気持ちのいい家もたくさんできるはず。しかし現状は、間取りと建材のグレードを見て一喜一憂する、どこに建てても変わらない住宅ばかりが立ち並んでいる。
もちろん、その団地に向かう道中には、コンビニやファストファッション、ガソリンスタンドとファミリーレストランが同じ顔をして並んでいる。この、郊外の都心との同調や没個性は、郊外に住むことの魅力をどんどん減らしていく。そして、経済的な状況のために消去法で建てられた家々が、その世代の寿命とともに無用の長物と化していく。
郊外はもっと魅力のある生活の場所ではないのだろうか。
この新しい家の建つ千葉県市原市の工業団地は、自然豊かで農業などと生活圏が近く、田んぼの状況や蛙の鳴き声で季節の移ろいを感じることができる。道端には四季折々に草花が咲き、小川では子供達が釣りをし、山の中では虫取りができる。そんな郊外団地に40年ほど前に建てられた親世代の家を取り壊し、隣の敷地を買い増して新築住宅を建てることになった。土地が100坪ほどあることと、家族3人に犬が2匹という家族構成であること、また、将来的に脚の弱くなった両親が同居するかもしれないことを考えて、50坪の平屋という構成を提案した。
典型的な、6畳の和室に8畳のリビングと部屋を寄せ集めた家とは違った作り方をするために、用途別に必要な大きさのスペースを内外の関係から場所を決めて置いていき、最後に大屋根を掛けて家の形を構成した。内部は配置された部屋と、その間の空間からなるのだが、間の空間は廊下でありリビングでありダイニングであり、家族の共有部分の必要な空間として再発見される。建売住宅の間取り図だけを見て家の良し悪しを判断している人にとっては無駄な空間なのだが、この用途が指定されていないスペースこそ住宅の質を決めるのではないだろうか。
なぜなら、人は建物の全体を一時に認知できない。例えば部屋の中では他の部屋が、家の中からは外を同時には認知できない。そのため、廊下や縁側などの移動の空間か、内外が混じった空間が、その建築を全体として認知できる唯一の空間になる。寝食だけの必要条件に含まれない空間だけが、”住む”という全体を捉えられ、住宅を寝食だけの原始的な場所から、住む暮らすという文化的な場所たらしめることができる。だとすると、郊外住宅はいつの間にか暮らす場所ではなく、食べて寝るだけの場所になってしまっていたのではないだろうか。
子供部屋は、上部が全てガラス窓になっている。夜は星が、昼間は飛行機が部屋で寝転びながら見ることができる。ワクワクする秘密基地のような空間の入口には扉がなく、また開口部にガラスもはまっていない。施主があまり子供が部屋に閉じこもってほしくないという希望からということもあるのだが、また同時にこのトップらとからの光を周辺の空間へ供給する役割を担っている。扉を閉じてしまえば隣の部屋との連続性や関係性がなくなってしまうばかりか、基本的には部屋同士が互いに何かを供給し合う依存関係にあることはあまりない。
しかし、この子供部屋は光による明るさや暖かさをその他の空間にも供給し、開口部はキッチンから和室への視線の抜けも担っている。関係の希薄な閉め切られた戸建住宅は、実のところ家の中からすでに始まっているのではないだろうか。もしも隣人同士の関わりの希薄な郊外住宅の姿を変えるのであれば、まずはその住戸の内側から変えていく必要があるのではないかと考えた。これら現在までに郊外住宅が捨ててきた無駄な空間や空間同士のつながりを、もう一度現代的な生活に合わせた状態で復活させることで、新しい郊外の暮らし方の一つになればと思う。
Photo: Yoichi Onoda