kurosawa kawara-ten danchi
家をもらう、皆で使う/Macbookとcoffee/privateとbusiness
kurosawa kawara-ten danchi
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家をもらう、皆で使う/Macbookとcoffee/privateとbusiness
kurosawa kawara-tenは千葉県市原市西国吉にある吉野台団地という400強の戸建住宅が集まった郊外戸建団地にある。もともとは川崎製鉄(現JFEスチール)の労働者のための団地として作られたようで川鉄団地と、その区画を少し狭くした吉野団地という区画が小高い山林の上を切り開くようにして造成されている。他の章でも触れているとおり、40数年前に移り住んできた第一世代はもうほとんどの世帯で65歳を過ぎていてい、その子供世代は団地を出て自身の職場の近隣やその他の文脈で居を構えていることがほとんどで、この先10年このままの状況が続いたとしたら、確実に限界集落化は免れず、使われなくなった空家に溢れたゴーストタウンとなるのは目に見えている。この空家が増加するという状況で一番大きな問題は、それ自体は日本の制度の問題でもあるのだが、相続者にアクセスすることができず、また、放置することになんの罰則もないということだろう。このため、いくら実際に団地に住んでいたり関わっている空家周辺の人間が空家を活用したいと思っても、触れることもできず交渉することもできずに傍観するしか他にない。その昔夢の一戸建てを求めて郊外へ向かい、色々なところから集まってきた同じような年代の同じような境遇の家族とともに草刈りや夏祭りなど一生懸命に充実させようとメンテナンスしてきた土地や建物が、行政の勝手な線引きと産業の変化という外からの大きな力によって無にされようとしているのであれば、それはあまりにも忍びない話だろう。そして、その第二世代の当事者として、kurosawa kawara-tenの代表者はこの団地にある実家で事務所を創業して明日の郊外団地の姿をどうにか描き出そうとしている。
そんな状況で自分の母親が住んでいたが亡くなったために数年使われずに空家になっていたという庭付き一戸建てを譲り受けることになった。庭付き一戸建てをもらうというと都市部の人からしたら信じられないような状況だろう。しかし、現在の千葉市以南の分譲から40年を過ぎるような郊外戸建団地の土地の値段は1万円/坪を下回ることも多く、築年数が同じくらいの中古物件であればそもそも建物自体に値段がつかないことも少なくない。そもそもが数千万円で取引される不動産という商品でいえばもらったも同然のような価格なのだが、それでも売れなかったり片付けや手続きが面倒だったりと売る気にもならないので、少しでも役に立つのであれば行政に寄付をしてしまいたいと考える人が一定数いる。実際のところ使う予定がない、または少なくとも自分は使わないと答える相続者はいて、売るために片付けや解体、または登記などの手続きや手数料がかかる他、年間に税金の実費と庭掃除やメンテナンスなどの手間がかかることを考えると手放せるのであれば手放したいという人がほとんどである。
このもらった空家をkurosawa kawara-tenでは、代表者別宅兼団地住民が使うことのできるゲストハウスにリノベーションすることにした。いただいた方の記憶を残して謝意を表すためにも、この家をキタグチハウスと呼ぶことにした。400個の住宅といえばそれなりのタワーマンションと同じような規模だと考えると、実のところそんなマンションには当然あるような施設が団地にはないことがわかる。あるのは集会場だけで、その他のライブラリー、パーティーラウンジ、ジム、駐車場、そしてゲストルーム。これらの中でもゲストルームはマンションという限られたスペースでは難しい来客用のスペースを確保できる仕組みなので、一見スペースに余裕のある一戸建てでは無縁のように思うかもしれない。しかし、子供達が出ていく前でぴったりだった部屋数であれば、子供が結婚して孫ができて兄弟揃って盆暮れ正月に集まったとすれば、当然ながらスペースは足りない。もちろん雑魚寝も楽しいものだが、すぐそばに一泊できるスペースがあるのはあまり悪いことではないし、なにより家を出た後に自分の部屋がなくなってしまったような人たちにとっては朗報だろう。自分も実家に家族を連れて帰ってくることがあるkurosawa kawara-tenの代表だが、使っていない時には結局空家なのであれば、団地出身の友人などにも使ってもらえればいいのではないかと考えた。
kurosawa kawara-tenの考える少し先の郊外戸建団地の一つの特徴は、通勤や通学、または子供達が巣立って行く、介護が必要になり施設に移り住むといった内から外へのベクトルが主だった今までの姿から、外から団地へと向かう逆向きのベクトルを持っているべきだと考えている。外から人や物が入り込んだり通り過ぎたりすることで、閉塞感や村的な見られ合うストレスが軽減され、新しい情報や物で更新されて常にどこかで更新が起きて新鮮さが作り出されるような状況ができるのではないかと考えている。そのためにも、手始めにまずは団地出身の第二世代がもう少し頻繁に実家に訪れるような状況を作ることは、団地へ向かうベクトルの第一歩として適当なのではないかと思われる。何よりもたまに帰省するというのはそこまで悪いことではないし、たまに帰省するとずっと舅や姑または親戚と一緒にいて息がつまるというような義理の家族にとっては、就寝の時だけでも距離を取ることができるゲストハウスというのは実のところかなり有効なのではないだろうか。
他にも外からのベクトルはどうしたら作ることができるだろうか。よく考えてみればkurosawa kawara-ten自体には代表者を含めてたくさんの人が団地の外から来る。であれば、団地の中に経済活動ができることは一つの方法だろう。アルバイトの学生やメーカーや商社の営業マン、時には打ち合わせのお施主さんなども頻繁に通ってくるのだが、実は少し事務所が手狭になってきている。そこで、いらない空家をkurosawa kawara-tenで有効活用することを考えてみた。前提として市街化調整区域になっている団地なので事務所だけの建物にコンバージョンすることは難しいのだが、団地内に散らばる数件の空家を、スタッフのための住宅兼オフィスの一部機能とすれば、団地全体に機能が散らばる分散型のオフィスとしてかなり活き活きと使うことができるのではないだろうかと考えている。これによって事務所スタッフが外から移り住んできたり、学生スタッフが頻繁に訪れることができるようになったり、そこから二次的に彼らの友人や知人が訪ねてくるような若い世代が団地に向かってくるという状況が作り出せるのではないだろうか。
分散するオフィスの機能は例えば、書籍やカタログが増えてきてしまって困っているので図書室を作ったり、模型やモックアップを作るためのアトリエや、打ち合わせのための会議室、食事のための食堂や素材のサンプルをストックしておくための資料室も必要だろう。また、スタッフ一人一人のデスクスペースもかなり狭いので、個別の書斎のようなスペースや、ゆっくりと休む場所もないのでカウチやちょっとしたベッドのあるような休憩室もあれば業務がとても快適になる。これらが分散して存在しているので、スタッフは必然的に建物の外を出歩かなければならず、団地に自ずと人影ができてくるだろう。人が歩けば住民とのコミュニケーションも自然と発生することになり、団地にさらに活気が出てくることになる。また、これらのオフィス機能の一部をゲストハウスのように住民にも使えるようにすることで、団地の魅力を高めていくこともできるのではないかと考えている。図書室の書籍を住民が読んでくれれば、現代建築や都市計画などにも理解が深まり、一緒に建設的な話ができるようになるかもしれない。建築について事務所内での勉強会に住民が参加できれば、生涯学習としてとても建築に詳しい団地になるかもしれない。アトリエはファブとして工具や大きなプリンターなどを使ってもらえるのもいいだろう。色々と建築模型やモックアップ以外の道具があるが、たまにしか使わないのに家の収納を占領していることもなくなるかもしれない。ミシン、インパクトドライバー、ハンダ鏝、丸ノコ、そして2mくらいの高さになる三脚など。毎月使うわけでもないが年に一度くらい使いたい時があるようなものが団地の中に揃っていたら便利だろう。食堂は喫茶店にしてもいい。そうすれば誰でも使うことができるし、団地とは関係のない外部からのお客さんの目は、団地の住民が家をもっと綺麗に維持することに一役買ってくれるのではないだろうか。そうして、自分たちが必要で作っていく場所が団地の中に染み出していくことで自然と団地の魅力を押し上げる。そんな場所が作れるのではないかと企んでいる。
実際のところ、建築設計事務所の業務には昔のような大きなドラフターも必要なければ、模型だけが検討手段でもない。薄くて軽く、しかもパワフルなラップトップコンピューターさえあれば、CADで製図も3Dモデリングも場所を選ばずにどこででもできてしまう。小さな事務所であることと、工事の管理などで現場に出ることが多いことを考えると、かなりの時間を事務所の外で過ごしているし、現在はクラウドストレージサービスとデータ通信のコストが下がったことで常にスタッフ間でのデータは最新のものに更新されているため、大きなシステムを組む必要もない。電話も各スタッフがもちろん持っているし、音声チャットアプリケーションを使うか、通話し放題のプランであれば電話代もかからない。子機という概念も内線という概念もいらないだろう。今までオフィスが有線であったり機材の関係で集約されているべきだった時代はすでに終わっていて、ノマドワーカーのように場所に縛られずに仕事をすることが可能になっている。むしろそういった働き方から始めているために、それが自然であるという世代が出始めているくらいだ。しかし、実際に顔をあわせることの重要さや情報量の多さ、感情的な結びつきに関する部分などでは、まだまだ場所というものが大きなアドバンテージを持っていることもクラウドワークが進むことで見えてきたボトルネックであり、考慮すべき問題だろう。
そうであるならば、もしも団地の中に分散的にオフィスの機能が散らばっているとしたら、声をかければ数分で会いに来ることができるし、必要がなければ作業に集中すれば良いというとてもバランスのとれた環境になるのではないだろうか。団地がちょっとしたタワーマンションと規模が同じであると仮定すると、ちょっとしたオフィスビルとも想定することができるだろう。空家を改修した一軒一軒がちょうど小さなワーキンググループのための部屋だとすれば面積や容積的な密度としてとても疎でゆとりのある環境の中で企業というまとまりをつくることができるのは、働く人々の精神衛生上もストレスが少なくなるだろうし、打ち合わせのために緑あふれる団地の街路を歩いていくというのも、とてもいい気分転換になるだろう。
この状況はちょうど、少しずつ校舎を増設していった都内の古い大学の雰囲気によく似ているかもしれない。大学という敷地の門をくぐると、そこかしこに学生たちが思い思いの場所を確保しながら、校舎の内外で同時多発的にさまざな研究や議論、または企みが行われている。これは学生の大学に対する帰属意識の向上や、居住性の向上、活動を促すことに一役買っていると考えられるだろう。どこに行っても自分の居場所を作ることができ、学生の密度も適度であるためにストレスもなく、教授や管理者に常時監視されていることもないために自立心や自尊心を育んでくれる。吉野台団地がkurosawa kawara-ten townと化した場合には、それぞれの空家はCampusとなり、スタッフの自立した活動と協働によって、さらにクリエイティブなアイデアや新しい企てが促進され、団地の外への提案や活動を促してくれるだろう。
ここにある提案の新しい団地は、実のところそこに住む人々が意欲に満ちて自らの仕事に対してとても積極的であり、私的な時間と仕事の時間の区別がないような生活スタイルに対して拒否感がないということを前提としている。設計事務所のスタッフは建築が大好きで、旅行に出かけるときにも目的地は名建築であり、カフェやレストランで食事をしていても内装が気になってしまい、都市や建築、またはプロダクトやグラフィックに至るでデザインについて常に考えているような人である。
明日の郊外団地はそんな人々を肯定して求めることが前提となっている。そうなると、企業として組織としてとてもブラックな、労働者に対してとてもひどい環境だと思われるかもしれないが、労働とは本来そのようなものではないだろうか。工場労働や清掃、保守点検や事務作業など、時間で区切ることができて生産性がとても測りやすい量的な労働ですら、向上心や働きがいとは無縁ではないだろう。一生懸命であることは、もちろん過労などの問題がケアされていることが大前提ではあるのだが、決して否定されるべきことではないだろう。生産性や品質、さらなる販路拡大について試行錯誤してよりいい状態をどうしたら作ることができるのかを常に考え続けている農業生産法人のスタッフが住む団地もあるかもしれない。家賃がないために制作に没頭でき、次の個展のために昼夜を問わずに制作する芸術家や次に開かれるマーケットのための制作の追い込みをしているクラフト作家さん達が多く住む団地もあるかもしれない。海外との仕事で常にどこかの家には明かりがついている次世代を担う気鋭の設計事務所のある団地があってもいいかもしれない。
ワークライフバランスや労働基準法を無視しろということではなく、積極的に一生懸命に仕事をして、新しいものを常に生み出し続け、新しいことに常に挑戦し続けることが、その場所に対して常に改善や更新の力が働くことになり、結果として常に代謝し続ける場所になるのではないだろうか。常に自分たちの環境が良いものになってほしい、良い状態にしたいという希望と、そうしなければいけないという強制力が働かなくなってしまったがために現在の団地は更新が途絶えてしまったとすれば、この活気のある「仕事」という要素はとても効果的に機能するのではないかと考えている。